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2009年3月

―※―

 その日の客は40代くらいのオヤジ。全く抵抗もなくセックスができる自分に驚いた。しょせん、こんなものか。2万円をもらってホテルを出る。もう夕方だった。喉の奥が粘つくような気がして、自販機でコーラを買って一気に飲み干す。いつもならもう1人客を探すのだが、もしかしたらテツヤから連絡があるかもしれない、と思ったので、やめた。ファッションビルに入り、何気なく店内をぶらつく。ピンクのグロスを買って、トイレに入る。メイクを直して、グロスを塗った。さっきまでオヤジのチンポをしゃぶっていた唇は、そんなことを思い出させないくらいにかわいらしく変身した。

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―15―

 目が覚めて、携帯を確認する。もうお昼過ぎだった。メールが1通届いている。

 『おはよう。今日はいい天気だね^^』

 テツヤからだった。昨日のことを思い出し、自分の唇を指でなぞってみる。金さえもられれば、誰とだってキスくらいしてきた。なのに、どうしてこんな気持ちになるのだろう。

 リタリンを飲み、シャワーを浴びて身支度を整える。いつもと同じように、「ミカ」になろうと携帯を手に取る。聞きなれた呼び出し中の音楽が流れる。男と繋がる前に、あたしは電話を切った。1度マユに戻ったあたしは、どうしてもミカになることができなかった。リタリンもったいなかったな。ベッドに横になってぼんやりと思う。とりあえずテツヤにメールを返す。

 『おはよう。今起きたとこ。』

 今さらあたしに普通の恋愛ができるだろうか。この傷をみたらきっと嫌われる。ウリをやってたことを知られたら、もっと嫌われる。そう思うと怖かった。結局あたしは、もう1度電話をかけた。

 「もしもし、あたしミカ。え~、どうしようかな・・・。今お金ないんだよね。うん、いいよ。そういうことなら。じゃあ、30分後に駅の西口ね。目印?そうだな、茶色のロングヘアで、白いミニスカート。うん、声かけてくれれば。じゃ」

 いつも通りの営業トーク。気持ちとはウラハラに勝手に言葉が出てくる。慣れってすごいな。そう思いながら、あたしは家を出た。

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―※―

 「今日はありがとう。また連絡するから」

 あたしが自分の車に乗り込みエンジンをかけるのを見届けて、テツヤは言った。

 家に帰り、こっそりと自分の部屋に入る。部屋着に着替えてベッドに倒れ込んだ。緊張が解けると同時にすごく恥ずかしくなった。キス、しちゃった。ピロロロ、ピロロロ。メールが届く。携帯を見るとテツヤからだった。

 『おやすみ、マユ。』

 テツヤの体温と唇の感触を思い出す。本当は「あたしも好き」って言いそうだった。でも左手のリスカの跡と、「ミカ」である自分を考えると言えなかった。

 『今日はごちそうサマ。おやすみなさい。』

 そう返事をして、睡眠薬を飲んだ。30分もしないうちに、あたしは眠りに落ちた。

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―※―

 夜の海は久しぶりだった。いつのまにか雨は上がり、月明かりが海面を照らしていた。海は全ての生物の源だと聞いたことがある。あの日もしコンタクトをしていなければ、あたしは海に帰れたのだろうか。

 テツヤがあたしの左手を握ろうとした。あたしはさりげなくテツヤの左側に回り、右手を繋いだ。どうでもいいことをしゃべりながら波打ち際を歩く。ふっと会話が途切れた。あたしは緊張していることを悟られないように、必死で話題を探した。テツヤはそんなあたしを抱きしめて、優しくキスをした。

 「俺、ホントにミカちゃんのことが好きだ」

 潮風とテツヤのぬくもりにクラクラする。

 「少しずつでいいから、俺のこと好きになってよ」

 「・・・マユ」

 「え?」

 「名前。ミカじゃなくて、マユなの。ほんとの名前」

 久しぶりに名乗ったその名前は、まるで別人のもののように感じた。

 「うん。わかった」

 テツヤはそう言って、またキスをした。

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―※―

 店を出て駐車場まで少し歩く。時間を見るとまだ9時前だった。

 「今日は、時間あるの?」

 「うん、少しなら」

 「じゃあさ、海でも見に行く?」

 「いいよ?」

 あたしはわざとそっけなく答えた。テツヤに惹かれ始めている自分を悟られたくはなかった。

 「ちょっと待ってね」

 そう言ってテツヤは助手席に積んであったCDの山を後部座席に移した。その中の1枚に目が留まる。 

 「あ、これ好き」

 「ホント?俺もすげー好き。声とギターがたまんないよね」

 あたしが助手席に座ったのを確認して、エンジンをかけてCDを入れ替える。海までの15分ほど、あたしたちは何も話さなかった。カーステから流れる聞きなれた歌声が、いつもより心に響いた。

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―※―

 テツヤに案内されて、あたしたちはビルの地下にあるタイ料理屋に入った。時間が早いせいか、ほかに客の姿はない。壁には曼荼羅の絵が掛けられ、民族音楽が流れている。

 「いい感じのとこだね」

 「まだオープンしたばかりらしいよ」

 「来たことあるの?」

 「実は、今日が初めて」

 そういってテツヤは微笑む。店員に案内されて、一番奥の席に着く。

 「なに飲む?」

 メニューを開いてあたしのほうに向ける。

 「じゃあ、このマンゴーラッシーってやつ」

 「俺はウーロン茶でいいや。好きなもの注文していいよ」

 「ほんと?じゃあね・・・」

 あたしは遠慮もなく、目に付いたものを次々に注文する。メニューをさかさまに見ながら、テツヤも何品か頼む。あたしがメニューを見やすいようにしてくれる気配りが、ちょっとうれしかった。

 テーブルいっぱいに並んだ料理を、2人で取り分けて食べた。料理はどれもおいしかったし、テツヤの話も楽しかった。食後のデザートが運ばれて来るころには硬くなったあたしの心もするするとほどけて、テツヤの魅力に惹かれ始めていた。

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―※―

 カフェに着くと、先に来ていたテツヤがあたしを見つけて手を振ってきた。あいかわらず爽やかな笑顔。周りのジメジメした空気とは打って変わって、不快指数ゼロといった感じだ。

 あたしはテツヤ向かいの席に座る。

 「久しぶり」

 「・・・久しぶり」

 「よかった」

 「え?」

 「来てくれなかったらどうしようかと思ってたから」

 そう言って、テツヤは微笑んだ。

 「何か、飲む?」

 「それよりもおなか空いた」

 「あ、じゃあもう行く?何か食べたいもの、ある?」

 そう言って残ってたコーヒーを飲み干した。

 「ジメジメしてるから、さっぱりしたものがいい」

 あたしは少し考えてから言った。

 「さっぱりしたものか。例えば?」

 「ん~、エスニックとか」

 「エスニックってさっぱりしてるの?」

 テツヤが笑って言う。

 「そういう気分なの」

 「そうだな・・・この近くにタイ料理の店があるけど、そこでいいかな?」

 「まかせるよ」

 あたしは窓を叩く雨粒を眺めながら答えた。

 

 

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